職務給(JOB型賃金)導入前に必要な職務分析

「賃上げということがよく言われていますが、実際のところどうでしょうか?」
先日、顧問先の社長からこのようなご相談をお受けしました。
労働組合のある大企業はともかくとして、ほとんどの中小企業では賃上げは進んでいないというのが実情です。「賃上げ」とともに、よく耳にするようになったのが「職務給」あるいは「ジョブ型賃金」という言葉です。大企業では、管理職を中心にジョブ型人事制度への移行が進み、中小企業でも注目が集まり始めています。
このブログを読んでいただければ、
賃金の見直しをする前に知っておかなければならない「職務分析」とはどういうものか、そして生産性の向上と業務改善に結びつく職務分析とはどういうものかを知っていただき、その先にある公平な給与を実現するための準備ができます。

音声でもお聞きいただけます。

今なぜ職務分析が必要なのか?

ジョブ型にした方が良いのか?賃金を上げないと社員に辞められないか?
経営者や人事担当者の悩みは尽きません。
思い切って、専門家にコンサルティングを頼もうかと考えておられるかもしれません。
ですが、その前に少し待ってください。
職務給を導入する前に、必ずしなければならない「職務分析」そして「職務評価」というものがあるのをご存じでしょうか?
「職務給」とは『職務評価に基づいて支給される給与』のことを言います。
そして「職務評価」を行う前には「職務分析」が必要なのです。
もし、相談した専門家が「職務分析」を知らない、経験がないと言ったら、その専門家は職務給を知らない専門家だということです。
残念ながら、職務分析のことを正しく理解している専門家は、日本ではまだまだ少ないというのが実情です。

ここでは職務分析が必要となった背景についてお伝えします。

注目されている職務給とその背景

2019年4月施行の働き方改革関連法の改正により、同一労働同一賃金の取り組みが始まりました。
これにより、非正規労働者の待遇に関して、正規労働者との均衡・均等待遇、説明義務、行政による指導・紛争解決手段などの整備が法律に規定されました。
この法改正の背景にあるものとして、日本の労働生産性が先進国の中でとりわけ低いこと、長きにわたる経済の低迷(失われた30年と言われています)、ILO等、諸外国から日本の賃金制度が差別的であることに対する批判が強いことがあると思います。
この同一労働同一賃金の実現には、これまで日本で主流であった、年功賃金や職能給はそぐわず、職務給の方がなじみやすいと言われています。
また、現政権の掲げる「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」の中で「個々の企業の実態に応じた職務給」の導入が盛り込まれたことも、職務給が注目される要因の一つです。
何よりも、低成長時代である今日、年功的な賃金では企業経営が立ちいかなくなっていることが一番の要因です。

このような背景もあって、大企業を中心にジョブ型雇用への転換が進み、職務・役割給への移行が進んでいます。

成果につながり喜ぶ社員

職務分析の目的は何か?

そもそも、職務給というのは職務評価に基づいた賃金のことを言います。
職務評価とは、仕事として割り当てられている職務の難易度、責任の重さ、職務分析は一般的には、職務評価のため、つまり処遇を決めるためという位置づけで活用されている事例が大半です。
そして、職務分析では「職務の内容」「責任」「必要な能力」「求められる成果」などが明らかになっていることが必要です。
単なる業務の洗い出しではなく「責任」「必要な能力」「求められる成果」ということから、職務分析が仕事に応じた公正な評価を行うために必要不可欠なものであることが、何となくでも理解されるのではないでしょうか?

この他にも、職務分析で得られる情報は、様々な領域で活用できます。
厚生労働省のマニュアルでも、
職務分析の活用領域として、「採用」「育成」「配置」「処遇」に応用できることが示されています。
パートタイム・有期雇用労働法の同一労働同一賃金に対応し、非正規労働者と待遇差の不合理性を裁判等で争いにならないよう、法的リスクに対応することが目的で行うものもあります。
厚生労働省の「職務評価を用いた基本給の点検・検討マニュアル」は、基本的にはこの法的リスクに対応することを主な目的としています。

厚生労働省の職務分析実施マニュアル

厚生労働省のマニュアル厚生労働省の「職務分析実施マニュアル~パートタイム・有期雇用労働者の公正な待遇確保に向けて~」に沿った職務分析の概要と問題点、限界についてお伝えします。

職務分析実施マニュアルのあらまし

厚生労働省のマニュアルの副題「パートタイム・有期雇用労働者の公正な待遇確保に向けて」にあるとおり、基本的には日本版同一労働同一賃金の主題である、非正規雇用労働者の業務と正規雇用労働者の業務を比較し、非正規雇用労働者の待遇改善を目的とした職務評価につなげることを念頭に作成されています。
正規雇用労働者について「職務説明書を活用した職務分析」と「職務構造表」の2つの手法が紹介されています。

前者は、インタビュー法により、「業務の内容」と「目的」「必要な知識・技能」「権限・責任の程度」を整理し「職務説明書」を作成します。
後者は、あらかじめ、階層ごとに職務内容を記載することが定められている職務構造表を用いて職務分析を行います。

いずれにしても、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の違いを明らかにすることが目的なので、業務を洗い出すまでにとどまっており、詳しい作業内容までは掘り下げて生産性向上につなげるという視点はありません。

職務分析実施マニュアルで注意すべきこと

パートタイム・有期雇用労働法に対する法的リスクの対策が目的で利用するのであれば、厚生労働省の「職務分析実施マニュアル」でも十分といえます。
しかし、業務改善、生産性向上を目指すのであれば、厚生労働省のマニュアルでは不十分な点があります。

まず第一に、従業員が現状で行っている行動に基づいた業務内容のアンケートに依存してしまっていることです。
従業員が、自らの業務の「目的」「必要な知識・技能」「権限・責任を理解していない場合が大半であることからすると、「責任の程度」「必要な能力」「求められる成果」がどの程度適正に導き出せるか疑問があります。
管理職でさえ、部下の行っている業務の詳細について、整理できていない場合があり、「職務説明書」や「職務構造表」の作成を丸投げしても、必要な情報が書けないことが多く、曖昧なものになりがちです。

次に、業務の洗い出しが目的化されており、業務改善が意図されていないことです。
専門的なお話になりますが、業務とは、複数の職務の集合体であり、その職務は、同程度の難易度の課業でくくられたものです。
本来、職能給で行われる職務調査では、最低でも課業レベルで行うものとされています。
職務基準による給与制度を、職務設計、職務再設計と言われる業務改善まで行うのであれば、作業レベルでの職務分析まで行うのが本来のやり方です。
例えば、厚生労働所のマニュアルでは、製造業の加工業務について、業務の詳細として「仕入れ材料の検品」「塗装前の研磨作業」「塗装作業」という内容までしか記述されていません。
このうち「材料の検品」というだけで適正な職務評価が可能かというと、現実にはかなり無理があると思われます。
検品と一言でいっても、目で見てすぐわかる欠陥であったり、個数のカウントという、比較的軽易な作業から、精密機械で微細な傷を発見する必要があるような高度なものまでひとくくりにして職務評価をしてしまっては、仕事に応じた公平な給与は実現できません。

さらには、同一労働同一賃金が働き方改革の重要課題とされた背景にあるのは、生産性の向上が狙いであったはずです。
しかし、厚生労働省がマニュアルで紹介している職務分析の進め方では ・業務上問題があっても、従業員が気づかないか、あるいは見て見ぬふりをする虞があります。
また、従業員の考えに任せてしまうと、知識・能力は過大(または過小)に評価されるといった危険性があり、
現在の仕事の進め方に潜むリスクや、経営課題を解決するための課題を明らかにすることはできません。
つまり、中小企業の業務改善、生産性の向上を目的とした効果は、あまり期待できません。

失敗しがちな職務分析

職務給は、職務分析と職務評価をもとにして導入されるものですが、世間では誤解が多く、誤った運用をされている事例が多くみられます。
そこで、失敗しがちな、職務給や職務分析の運用事例についてお伝えします。

背景

ジョブ型という言葉が最近の流行となっているので、流行に便乗しているコンサルティング会社やコンサルティングと名乗る人が多く現れています。
これまでお話したように、職務給あるいは職務等級制度と言われるものは、職務分析と職務評価があって、初めて成り立つものです。
中には、人事評価制度さえ作れば業績が上がる、社員がやる気を出すという根拠のない甘いキャッチフレーズで勧誘されているものもよく見受けますが、そのような単純なものではありません。
実は、業務改善につながる作業レベルの職務分析や、職務等級制度について熟知しているコンサルティングは、日本ではまだ少数しかいないというのが実情です。

原因

職務分析の失敗する原因には次のようなものがあります。
①人事管理部門が主導し、現場をよく知るメンバーが目的や手段に関する理解を得ないで進められている場合、あるいは現場を良く知るメンバーがプロジェクトメンバーとして参加していない場合。
②なぜ、職務等級制度を導入し、職務給に移行するのか、経営戦略や目的がはっきりしないまま導入しようとしている場合 。
③②とも関連しますが、なんとなく、制度さえ作ればうまくいくだろうと思っている場合。

結果

現場の実情にあっていない職務給を導入しても、これまでと変わり映えのしないものが出来上がり、むしろ社員の不満を増長させることになることがあります。
このような、形ばかりの人事制度でよく現場から上がる悩みとしていくつか事例をあげます。

①実際の行動に当てはめられないので基準があいまいになり、ほとんど差のない甘い評価になる
②社員からは「やってもやらなくても一緒」という声が聞かれる
③公平性、納得性、客観性が実際は確保されていない
➃評価のわりに成果が上がっていない。

生産性が上がる職務分析とは

どうすれば、失敗せず、しかも生産性が上がって会社が良くなる職務分析になるかをお伝えします。

経営戦略との同期

通常の職務分析は現在遂行している仕事について観察やインタビューを行い、仕事の量や必要な時間、知識・能力を分析していくものです。
現在の職務分析を行うだけでも、一定の改善は可能ですし、ある程度の効果期待できます。
しかし、これからどうすべきかと、どのような流れで職務を遂行すべきかといった、未来(中長期経営計画)の視点はありません。
つまり、現時点での問題を解決することはできても、経営戦略と仕事が結びつかないため、未来のあるべき姿で求められる仕事につながらないのです。

そのためには、人事部主導ではなく、プロジェクト主導で全社的に取り組むことが必要です。
私の場合は、職務分析と並行して、SWOT分析、中長期経営計画の見直し、部門間の問題をマトリックスで整備するなど、現場主導で会社の経営課題について徹底的に話し合っていただく場を設けます。

職務分析と並行して行っていると、現在の仕事の流れでは経営課題がいつまで経っても解決できるような仕組みになっていないことがわかってきます。

作業の洗い出しと改善行動

現場をよく知る従業員には、業務レベルではなく作業を洗い出していただきます。
作業の洗い出しには「職務予備調査表」というものを活用しています。
ここには、現在行っている作業手順を書き出すだけでなく、どのようなリスク、課題があるかも併せて書き出すようにします。
この職務予備調査表を作成されていることで、その後の職務設計、職務評価が格段に楽になります。

『出典  西村聡著『職務分析・職務評価基礎講座』労働新聞社刊 P110掲載の書式に筆者が記載例を加えたもの』

※ページ下に、簡単に入力できる「職務予備調査表」のプレゼントフォームがあります

ここでいうリスクとは経営戦略で話し合われた、経営課題を解決するためのものです。
中長期経営計画と同期されるものが、KPI(重要業績評価指標)なのです。
リスク、問題点については職場全体で改善策を検討します。

プロジェクトで明確にした経営課題と職務分析で整理した行動手順を同期し、あるべき姿としてマニュアル化します。
私の場合は、現状の作業手順については「プロセス展開表」というものを作成し、改善につながる行動を「あるべき姿のプロセス展開表」に落とし込みますが、各部門で作業標準書などのマニュアルがあれば、そのような使い慣れたものを改訂する方法でもかまいません。

ジョブ型でよく取り上げられる「職務記述書」も同様です。
現状の職務の記述ではなく、本来あるべき「職務の内容」「職責」「必要な知識」「求めれる成果」が記述されていなければ、生産性の向上どころか、改善にはつながりません。

大事なことは、人事制度が、会社の目標・戦略とに一貫性があることです。
今現在行っている業務ままで職務分析を終わらせ、そのまま職務評価を行っても、生産性を上げるための行動が落とし込まれていないので、いつまで経っても現状のままです。

そのような状況で職務給を導入しても、生産性が上がらないのですから「賃上げ」には結びつかないのです。

よくある質問

Q1.成果主義だと人間関係を壊すのではないか?

A1.職務基準だから人間関係が壊れるということは聞かれません。
人間関係の問題は年功制や職能給であっても起こりうる問題です。
今より、成果を上げるためにどうすれば良いか、部門間の連携を良くするためにはどうすれば良いかという視点で職務分析を行っている会社では、むしろ部門間のわだかまりが解消し、コミュニケーションが活発になったという事例もあります。

Q2.職務給にすると賃金が下がるのではないか?

A2.仕事に応じた賃金になるので、さぼる人には少ない賃金、しっかり働く人には仕事に見合った賃金になります。
若い人や、入社して間がなくても成果に応じた評価が行われ昇給につながるケースでは、むしろ社員の励みになるという声もあります。
これまで年齢に応じて、昇給し若い頃のままの仕事しかしない人にとっては厳しいかもしれませんが、挽回するためには、何をどのようにすれば良いか?
そのためにはどのような知識・スキルが必要かが明確になります。

まとめ

ジョブ型雇用や職務基準の理解が深まるにつれ、職務分析の必要性も再認識され始めていますが、間違った運用も多くみられます。
厚生労働省の職務分析は、法的リスクに対応することが主な目的で、生産性向上につなげるには無理があります。
生産性向上を目指して制度を導入しようとして、職務分析を行わない職務給制度を導入しても期待される効果は得られません。
生産性向上や業務改善につなげるのであれば、経営戦略と一貫性があり、改善行動を意図した職務分析と人事制度にとり組むことが重要です。

以下の3点が成功の秘訣です。

  1. 職務分析は、人事部門だけで行うのではなく、部門を超えて全社的に取り組むこと。
  2. 現場主導で設計すること。
  3. 経営課題の解決を意識して目標を立てること。

実施企業の取り組み

これまでにお伝えしてきた、生産性が上がる職務分析は、正直なところ、結構な手間と時間を要しますが、実行すれば必ず成果につながるものです。
私の経験でも、はじめは大変そうだったお客様も作業が進むにつれて、その効果を実感されることがほとんどです。

会社の業績回復、業務改善には、時間を要しますが、比較的短期で結果が表れるものもあります。
以下の事例は、私の顧問先で短期間に実現できた成果の一部です。

  • ISO(品質管理マネジメント)の取得
  • 業務の標準化
  • 長期的なキャリア形成の教育体制整備(派遣事業としては労働局も現地調査で感心されるレベル)
  • 管理職の育成
  • 管理職の指導力強化
  • 採用後のミスマッチが減少
  • 障害者雇用の促進(障害の程度に応じた職務が明確で、職務設計が容易であるため)

ぜひチャレンジしてみてください。

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参考図書

・『職務分析・職務評価基礎講座』労働新聞社刊
・『会社が変わる!生産性が向上する!ジョブ型人事とは何か』労働新聞社刊
・ビジネスガイド 2023年4月号、5月号連載記事『職務分析入門』
いずれも、西村聡著

人事労務コンサルタント 小林裕幸

人事労務コンサルタント 小林裕幸

職務分析・評価、賃金の適正化専門のコンサルタント

人事労務コンサルタント・特定社会保険労務士の小林裕幸です。
複雑な労務管理が要求される、IT業界の勤続20年の経験を活かして、『職務・役割等級人事制度』加害者と被害者双方に寄り添う『ハラスメント対策』参加者自らの気づきを重視した『ケースメソッドによる研修』を提供します。

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